2011年 04月 10日
アメリカの民主政治(上)(中)/A・トクヴィル 井伊玄太郎 訳(講談社学術文庫) |
フランスの政治学者トクヴィルは、1831年から1832年にかけてアメリカを旅し、本書を書いたらしい。
1831年というと、フランス7月革命の翌年である。ヨーロッパ諸国の体制が大きく変化していくさなか、フランス人である著者がアメリカを見、その政治体制や文化に何を感じたのか。
トクヴィルは「アメリカでアメリカ以上のものを見た」といったらしいが、民主政治を考えるうえで、本書を読むことは今も意味があることだろう。
ところで、地震の影響であまり報道されなくはなっているが、インターネットを通じた民主化運動が中東で進行している。
インターネットが民主主義や自由主義にどのような影響を及ぼすのか。
民主主義と自由主義の関係をどのように考えるのか。
コミュニティーと自由主義は両立しうるのか。
古くて新しい問題が、現実問題として生じている。
伝統的な理論でいえば、民主主義は自由主義の道具であり、手段にすぎない。
しかし、現実には、立憲主義を前提としても、民主主義は自由主義と対立するものになっている。
インターネットは自由であるという幻想と同じく、民主主義が自由をもたらすというのは幻想にすぎない。
もちろん、物質化された暴力よりはましかもしれないが、
1831年というと、フランス7月革命の翌年である。ヨーロッパ諸国の体制が大きく変化していくさなか、フランス人である著者がアメリカを見、その政治体制や文化に何を感じたのか。
トクヴィルは「アメリカでアメリカ以上のものを見た」といったらしいが、民主政治を考えるうえで、本書を読むことは今も意味があることだろう。
ところで、地震の影響であまり報道されなくはなっているが、インターネットを通じた民主化運動が中東で進行している。
インターネットが民主主義や自由主義にどのような影響を及ぼすのか。
民主主義と自由主義の関係をどのように考えるのか。
コミュニティーと自由主義は両立しうるのか。
古くて新しい問題が、現実問題として生じている。
アメリカ連邦で組織されているような民主制政治についてわたくしが最も烈しく非難するものは、ヨーロッパで多くの人々が主張しているように、その弱さではなく、それどころか、その不可抗的な力である。アメリカでわたくしが最も嫌っているものは、そこで支配している極端な自由ではなく、圧政に対抗するだけの保障がないということである。(中 P174)
君主たちは暴力をいわば物質化している。今日の民主的諸共和国は、暴力を知的なものにしている。(中 P181)
伝統的な理論でいえば、民主主義は自由主義の道具であり、手段にすぎない。
しかし、現実には、立憲主義を前提としても、民主主義は自由主義と対立するものになっている。
インターネットは自由であるという幻想と同じく、民主主義が自由をもたらすというのは幻想にすぎない。
もちろん、物質化された暴力よりはましかもしれないが、
民主的諸共和国では(中略)圧政は肉体を放任したままにしておいて、魂に直進する。(中 P181)
by zippa-zappa
| 2011-04-10 09:51
| 読書