2005年 11月 24日
ラス・メニナス/ベラスケス |

本日は、ディエゴ・ベラスケス作「ラス・メニナス(侍女たち)」
この作品ほど様々な人に語られている作品は無いかもしれない。
そこで、個人的に注目すべき解釈を2つ紹介


その前に、この絵の構造を説明しておきましょう。
この絵は、フェリペ4世夫妻(図の中の番号1)を描くベラスケス(図の中の番号2)をベラスケスが描いたものです。
絵に描かれているマルガリータ(図の中の番号3,円内左端の女の子)は、描かれているフェリペ4世夫妻の前にいるわけです。
そして、フェリペ4世夫妻は絵の中の鏡に映っています。
このように、描いている自分を描いた絵が「ラス・メニナス(侍女たち)」と言えるのです。
奇妙な入れ子構造の不思議な絵です。
では、解釈について。
まず、ミシェル・フーコーの有名な解釈。
彼は、この絵が「近代が作り出した特権的な人間」をあらわしているといいます。
フェリペ4世の視点から見ると、この絵の構造は「世界の中(絵の中の鏡に映るフェリペ夫妻)」にいながら「世界の外(絵の外のフェリペ夫妻の位置〕」から見ていることになります。
さて、近代的な人間というのは、自分が世界の中にいるにもかかわらず、世界を外から見ている。
別の言い方をすれば、世界に含まれているにもかかわらず、「客観」という視座から世界をみている。
この奇妙な構造をこの絵が示唆しているように思えるのです。
もう少し、別の言い方をしてみましょう。
皆さんは「自分」について考えることがあるでしょう。
このとき、皆さんは「自分を考えているている自分」の視点で「自分」を考えているわけです。
このとき生じる構造、つまり「考えられる自分」と「考える自分」の構造をこの絵が示唆しているとも考えることができるのです。
このように考えたのがフーコーだったのだと思います。
次に、森村泰昌が次のような解釈を示しています。
彼は、この絵が、絵画における「見ること」「見られること」の分業にひびを生じさせたといいます。
絵画は「見る側」と「見られる側」がきちんと別れているものです。
風景画家は「見る側」として風景を「見て」いなくては絵を描けません。
ところが、この「ラス・メニナス」では、画家ベラスケスは「見られる側」になっています。
一方、鑑賞者は絵を「見る側」として「特権」を与えられていたのですが、「ラス・メニナス」では「見られる側」なのです。
この、昔ながらの絵画をめぐる構造を「不安定」にした作品が「ラス・メニナス」だというのです。
この2人の「解釈」をもとに、再度この絵を観てみると、とても面白いと思います。
