2011年 08月 28日
蠅の王/ウィリアム・ゴールディング 平井正穂(新潮文庫) |
1983年にノーベル文学賞を受賞したゴールディングの代表作。
あとがきによると、バランタインの「珊瑚島」等の少年漂流物の形式をとりつつ、人間のありかたを深く追求した作品らしい。
「珊瑚島」はおろか「ロビンソン・クルーソー」も「十五少年漂流記」も読んだことがないので、本当かどうかはわからないが、読んでみると理性に対置される「悪」というものが重要なテーマであることはなんとなくわかったような気がした。
ここで対置されているものが西洋的理性と西洋人が考えていたであろう未開的な人間であることの是非はともかく、この物語の構造は今もなお多くの作品で採られているものだ。
パニックの中で獣性に目覚める人間と理性を保つ人間を対置するというのは、もはや使い古されているにもかかわらず、深刻ぶった演出をするとなんとなく深いテーマの作品のような気を起させる。
槍で首を突き刺す、顔に原始人メークをするなどなど、現在ではもはや定型記号となった表現が1954年に発表されたこの本の中にちりばめられている。
はたして、この作品が源流なのかどうかはよくわからないけれど(源流はギリシャ悲劇あたりか?)、いまでもそれなりに興味深く読むことができる作品だといえるだろう。
ところで、この本を読んで思い出したのが、映画版の「青い珊瑚礁」だ。
大人になって観てみると能天気すぎるほどの人間への信頼を描いた映画だともいえるのだけれど、子供のころはブルックシールズの裸が拝める軽くエッチな映画でしかなかった。
いまとなっては、たとえボディダブルを使っても作ることができなさそうな映画だけれど、そうなったのも西洋的理性が自らの獣性を罰したからだろう。
ちなみに、この作品のラストの皮肉な解釈には解説を読むまでは気付かなかった。
こういう解釈が可能なことが、この作品の普遍性なのだろう。
あとがきによると、バランタインの「珊瑚島」等の少年漂流物の形式をとりつつ、人間のありかたを深く追求した作品らしい。
「珊瑚島」はおろか「ロビンソン・クルーソー」も「十五少年漂流記」も読んだことがないので、本当かどうかはわからないが、読んでみると理性に対置される「悪」というものが重要なテーマであることはなんとなくわかったような気がした。
ここで対置されているものが西洋的理性と西洋人が考えていたであろう未開的な人間であることの是非はともかく、この物語の構造は今もなお多くの作品で採られているものだ。
パニックの中で獣性に目覚める人間と理性を保つ人間を対置するというのは、もはや使い古されているにもかかわらず、深刻ぶった演出をするとなんとなく深いテーマの作品のような気を起させる。
槍で首を突き刺す、顔に原始人メークをするなどなど、現在ではもはや定型記号となった表現が1954年に発表されたこの本の中にちりばめられている。
はたして、この作品が源流なのかどうかはよくわからないけれど(源流はギリシャ悲劇あたりか?)、いまでもそれなりに興味深く読むことができる作品だといえるだろう。
ところで、この本を読んで思い出したのが、映画版の「青い珊瑚礁」だ。
大人になって観てみると能天気すぎるほどの人間への信頼を描いた映画だともいえるのだけれど、子供のころはブルックシールズの裸が拝める軽くエッチな映画でしかなかった。
いまとなっては、たとえボディダブルを使っても作ることができなさそうな映画だけれど、そうなったのも西洋的理性が自らの獣性を罰したからだろう。
ちなみに、この作品のラストの皮肉な解釈には解説を読むまでは気付かなかった。
こういう解釈が可能なことが、この作品の普遍性なのだろう。
by zippa-zappa
| 2011-08-28 22:19
| 読書